坂東33ヶ所観音巡り お寺は全て行って、御朱印を頂きましたが、故郷の27番飯沼観音に行くと一周歩いたことになります。 なので、今日も歩きました。
駅の近くの桜川(筑波山の男女川の下流)に架かる最後の橋水郷橋の親柱のオブジェ
帆引き船
この絵が判りやすいので ご覧ください。 (ヨットで乗っている人がそのに乗り出している代わりに?網をあると思ってください)
その前に 霞ヶ浦の説明を
つまり日本第二位の湖の霞ケ浦を北から南に歩いた!というお話です!
3キロ地点 予科練平和祈念館 ここにちょっこっと寄った
こんな軍歌で有名!?予科練
ゼロ戦の実寸大模型が展示されていました。
霞ケ浦と道路の間は蓮田が続きます。 花は終わっているようで ようやく見つけました。
あとは田んぼ 稲刈りの最中でした
遠くに見えるのは 筑波山!
オアシスのコンビニで英気を養って 21キロ地点 古渡橋
やっぱり 筑波山
浮島
浮島」(現在の稲敷市)について『風土記』には「古老曰く、日本武尊海辺に巡行でまして乗浜に行き至りたまひき。時に浜・浦の上に多に海苔を乾せり 是に由りて能理波麻の村と名づくと云へり 乗浜の里の東に浮嶋の村あり 四面絶海にして山と野交錯れり 戸は一十五烟 田は七八町余なり 居める百姓塩を火きて業と為す 而して九つの社ありて言と行を謹諱めり」とあり、現在は陸続きであるが、当時は海域が広く遠浅な海に浮かぶ島であったことがわかる。さらに「大足日子の天皇浮島の張宮に幸きし給ひし時水の供御なかりき即ち占者を遣して占訪はしめ所々穿らしめたまひき」とあり、景行天皇が日本武尊の蝦夷征討の蹟を巡行し、途中の浮島に仮宮を営んでおよそひと月の間滞在したことを伝えている。
戦後の干拓で1948年に陸続きになるまでは、霞ケ浦に浮かぶ島だった。「夢の浮島」と呼ばれ、有名な画家が訪れて絵画を描くなど、勝景地としてもにぎわいを見せたという。 https://inashiki-gourmetmap.com/2019/11/14/ukishima/
へえ~~~ ですね
現在は 集落の廻りにこんな濠があります。
ここの稲敷市農産物直売所 浮島 で休憩!
もちろん ご当地「レンコン」
これって 短いけど??と 以前見た土浦駅のポスターで確認
この⑤あたりの物なのか??? と12キロの道のりを担いで帰ってきた。
横利根川を渡って あれ???ここ千葉県??!利根川が県境でないの??
と渡って行くと
ということは ⇂ この辺にタンコブが出来てる的なのかな
「帰ってこいよ」の碑 帰って来たけど! でもこの歌詞にお岩木山・・・って云って無かった???? とみると
昭和55年にヒットした「帰ってこいよ」の歌詞が刻まれていました。作詞者の平山忠夫(旧佐原市八筋川出身)の作詞生活50周年を記念して建立された だそうだ。
水郷です!
もう~~ 疲れた!
千葉県側では無く、茨城県でみた牛 集まってきた
途中
坂東太郎 利根川を渡りました。 これを渡らないと千葉県じゃないよなあ~~~っと思っていた。
42キロ でした。
あと36.3キロ ああ~~中途半端だなあ~~。
もしかしたら あと一日では達成できないかも???と