海岸沿いに歩きました
鱚ヶ浦海岸!
おお~~ モンサンミッシェル! と
(江の島でもいいですが、島が尖っているので モンサンミッシェルかと)
行ってみると
タダの岩 真珠島というそうです。
この先に
源頼朝の上陸地点
今、大河ドラマはどこまで行っただろ???
まあ 復習だと思って (字起こしするのは面倒なので写真を)
ふう~ん 真鶴半島から逃げてきた
するて~~っと ↓ この辺かな?
なにも遠廻りしないで おいらのように久里浜からフェリーで来ればよかったのに
などなど 考え
次の岬を越え 途中で
千葉と云えば なのはな! なのだが 減った
おいらのふるさとでは 菜の花に代わって灯台キャベツになった。
以前は 菜の花の種を絞って菜種油になって そのカス(菜種油粕)は肥やしになった
でも 菜種油の需要が無くなったでしょうね。
ここは 岩井海岸 遠くに大島が見えます!
ここでサーフィン🏄??? 波が無いよ! やっぱりサーフィンは外房でしょ!
とニクタレグチを叩いて
おいらのふるさとは 外房の外 波が高い! なので海水浴と云っても 泳げのではなく浸かる! 従って泳げない!
この辺は臨海学校のメッカで 確か日比谷高校の寮があったと思った
かくゆう おいらもついこないだの高校生の時にもう少し先の海岸に臨海学校で来たことがある。そして初めて 25mぐらい平泳ぎができた。 次の日遠泳をやれ!と
結果は途中で溺れ! 同級生に助けてもらった。
ここから 正面左側の山を越えて行こうと
今回の本題(寄り道なんですよ)
たぶんその時代は木ノ根街道を通ったのではないかと 勝手に思い 行くことにしました。
この木ノ根峠を通る道なのですが その北にある県道とは違う
県道の内房線をくぐって右に曲がり 高崎公園の方に行き ここじゃないかというところを右に曲がった 心配なので 4人の人に訊いた 一人目の女性は しらない!と
A地点
二人目のおばさんは ここを真っすぐと云われた 歩いて行くと前からハイカーらしき人が歩いてきた 下って来たのだろうっと訊いた 外国人だった! コノミチハキノネトウゲ二イキマスカ? と訊いたら もう少し行ったら看板があるからそこを右に曲がって! と流ちょうな日本語で教えてくれた!(外国人に日本で道を尋ねたのは始めてだったかもしれない) 更にもうひとり慣れている人らしい男の人に訊いた。 同じように答えてくれた。そして、道は整備されていませんよ! と
あった あった と 確かに右の道より ひどいけどまあいいか!
なかなか趣があって いい! でも 分りずらい
とハアハアいいながら登りました
ようやく 峠に
たぶん B地点
ふんふん 峠ね!
さっき歩いた岩井海岸が見えています これからは 海が見えない! と
スミレも咲いていて
さあ~~これから 降りるぞ! っと ゼンマイを巻いて頑張ろう!
っと
C地点に
が 道が無い?????
それに この
タラの木が邪魔する!
仕方なく 南の方に向かった
で、E地点で 降りようとしたが どうも降りられない
あとで考えると
D地点の曲道を曲がらなかったため
F地点は 無理矢理下りることを企てたが 無理!
また 上るのに苦労した あああ~~ そうなんですよ! 遭難です。
この倒れた木を潜ろうとしたのですが リックが引っかかってダメ!
仕方なく 登りました
こりゃだめだ 最後まで歩いちゃえ まだ3時過ぎだから大丈夫だろうっと
途中
こんな頂に! ああこの御幣まだ新しい きっとこの正面には道があるのでは?!と
進み なんとなく道らしいものにで 下りてきた
ああ~~ なんとなく人の気配
とようやく G地点につき 道路に
ふう~~~
トンネルをくぐって 振り向けば
なんてことない 裏山! 里山?
整備されてない 低名山は低迷山だ!
と反省すること
土筆も伸びて おいらもノビた。
ようやく 目的地
33番 那古寺 に到着!
でも閉まっていた
太陽も沈んでいた おつかれさん!
そして 隣の駅 館山駅からバスに乗って帰った
ああ~つかれた じっと手を見る
傷だらけになった
ああ~~~ タラの芽のタラノ木だ! あいつの棘がたくさん刺さっていた
ということで 木ノ根街道という寄り道をしたおかげで そうなんしそうになった というお話でした。