番外 ー銚子の歴史たどるツアー(産経新聞)ーを見て 盛る!

         

銚子の地図の左下「飯岡の灯台」と書きました.

飯岡灯台 - 旭市公式ホームページ

ここは たぶん後で書くであろう「屛風ヶ浦」の崖の上に有ります。 ここから99里(正式には66キロ=16.5里)先の大東岬までが九十九里浜です。

この刑部岬(ぎょうぶみさき)から夕陽を見たいと、徳さんが云って?出かけた番組がありました

2023.02.05放送|路線バスで寄り道の旅|テレビ朝日

 

たぶん こんな夕陽だったのでは

薄くボーッと見えるのが房総半島

晴れていれば 富士山も見えたでしょうね!

13年前の動画を見てみると

 

    

www.youtube.com

このように津波に襲われました。 旭市で13人が亡くなったそうです。

 

友人の利根川沿いのガソリンスタンドでは、川を遡ってくる波はそうでもなかったのでその時地下タンクの蓋をして2階に駆け上ったそうです。 引く波がそのあとやって来て30㎝位水没したと云われました。 なので、ガソリンスタンドの建て替えの時に2階が欲しい! 2階が!と云われましたが予算の関係で割愛! ああ~生かされてない!

 

ついでに 飯岡の街には戦後すぐ漫画家のちばてつやさんが引き上げて来て住んでいたそうです。

ameblo.jp

ちばてつやさんが住んでいたところの近くに玉崎神社というの神社があります

  (この神社の境内に面していたと どっかで見ました)

そこの塀は

https://twitter.com/CaptMurasha/status/1704478352827191642

この平べったい石 

 

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/iiif/RB00015095/1-1/RB00015095_00012_0.ptif/full/2000,/0/default.jpg

                                                                     京都大学貴重資料デジタルアーカイブより   

  寄石(よりいし)⦅飯岡石⦆とも呼ばれています

下総国銚子の浦に玉前大明神まします。毎日大小の円き石四つ五つ浪にうちよりぬ。神主これを拾い取りて境内に積み置けり。当国は山なき国にて、もとより石払底なり。 別にしてこの辺は一向に石なし。諸人作事をするに、右の寄石を三里四里あるいは十里も申しおろしに来ることなりぞ。     築地書館刊 雲根志 今井功ー訳注解説

 

玉前大明神と書いて”たまさき”と仮名をふっています。じゃあ 作者か神社かが間違えたのでしょ??銚子近辺にはないのですね。 九十九里浜の先にある化上総一之宮の玉前神社ではないし・・・。 うんうん確かに庭の飛び石に使うのはいいかも!と思っていた。 ところでこの寄石はどうやって出来たのだろう?? 噴火して火山弾となって空から海岸に落ちて餅のようにぺちゃんとなんって冷え固まった。それが波によって流されてきたのでは??と考えていたのですが、最近になってこれだ!と

choshi-geopark2.doorblog.jp

 

ふう~~ん これって 飯岡灯台の下じゃない! まさしく 灯台下暗しですね。

 

確かに この屛風ヶ浦 今は海岸線をテトラポットが置かれ浸食を防いでいますが おいらの小学生の頃は年に1mずつ削れていました。 また、いつ崩れるか分からないので近寄らなかったためか気が付かなったのですね。