続 銚子の歴史たどるツアー(産経新聞) 盛る!

今回は飯岡灯台の上”猿田神社” しかし それこそ七五三祝いから行って無いからどうなんだろう? 今回の話としては 2点

1. 猿田神社とあるが 猿田彦神社と違うのか??

 こどもの頃から、猿田神社と認識していたので伊勢では猿田彦神社だったのでびっくりした。 以前、猿田彦黒潮に乗ってやってきたという説を聴いた。 ふう~~んと納得していたが、坂東33ヶ所観音巡りで利根川沿いを歩いていると石碑があった。

ん?! 猿田彦大神上陸之地??? ええ~~~海の方から来たのでなくって川からなんの???しかも北側から とびっくりした! 更に良く観ると

宮司が 猿田さん!

2. 猿田神社の宮司は 猿田さんでおいらの国語の教師だった(確か)

  今、ネットで見ると、歳とっているけど猿田先生だ! なんでも、48歳の時お父さんが亡くなって、教師を辞めて神主になったようです。 ということはあの時とっても若かっただ!

www.choshikanko.com

今度、銚子に行ったら猿田神社によって神主さん=先生に訊いてみよう! 覚えているかなあ??担任では無かったからなあ~~。それにワルで無かったから印象が薄いよな。

 

 

少し右上に行って、余山貝塚! ここも教師が絡んでます。 叔父がこの近くで教師でした。 なんでも、道路の盛土に余山貝塚が運ばれていて・・・・・という話を聞いて自転車で行きました。 ここから考古学の興味を持ちました。 あ!母方の叔父も考古学に絡んでましたがね。

 大したものは得られなかったのですが、叔父から”石斧”を渡されたことがありました。が、残念ながら返して!と取換されたました。

www.city.choshi.chiba.jp

 今考えてみると千葉県で4~5ヶ所発掘の手伝いをしたのですが、みんな下総台地の上 関東ローム層の上でした。しかし余山貝塚は台地の上でなく砂の上でした。 土偶もでたんだ! おもしろそうだなあ~~~。

 

この叔父の次の勤務先は外川でした。 ここから産経新聞の記事とリンクするかな?

外川の 琥珀 について書こうと思ったのですが、仕事が忙しくなった! 残念!

            

この琥珀のペンダントは外国産! 

こんなものを最愛の娘の母にあげました。

銚子産はこんなに綺麗ではないですが・・・ どこに行ってしまっただろう?