3月26日 東京地方は雨
どのくらいの感じかと云うと ⇂ こんな感じ!
大國魂神社の屋根から集まった雨水ですがね。 ちょっと印象的だったので撮りました。 これが土砂降りだったら、こんなところまでおいらは寄り付きはしません! まあ、雨が降っていたという感じですが寒かった!
そんな中 卒業式だったようです。
私学だったら3月の始めに追い出しちゃうようですが、国立なんでしょうね?!
水も滴る クレマチス ??? こんなのもあるんだ!
と そうそうに家の中に・・・。
三月も デブ症(出不精)だった。 数少ない外出で撮った花を
父が好きだったのか、庭(門から玄関まで)たくさんの沈丁花が植わって居た 好きというより挿し木がし易かったと思う。 枝を切って根元に水苔を巻いて置くと根が生えてきた。 なので次から次へと挿し木を作ったのでは?と思う。
オオキバナカタバミ
かな?? 南天の葉が見えるけど 間違えそうな撮り方が難点だな!
今頃咲くのかな??? と
椿? サガンカ???
花弁が 1枚 1枚 サザンカ!と思ったら ドン!と落ちていて 椿!
斑入り椿とも呼ぶのでしょうか???
ゼラニューム
セダムパルメリ
だって!
三月に咲くのが ハクモクレン
姪の卒業文集を見たら文集の題名が「白木蓮」だった。その時は気にしていなかったが娘も同じ学校を卒業した時同じ「白木蓮」を持って帰って来たので、ああ~~この頃咲く花なんで 題名がこれか!と認識した。 同じような大きな白い花を咲かせるのが「泰山木」タイサンボク こっちは初夏なんですね! 母の実家に咲いていました。なんでも六義園のタイサンボクの子だと???
傷みやすいのか キズモノ に成っていた。
コブシ も間もなくですね!
某デベロッパーの物件報告書を見る機会があった。 その書類の題名は「現調・役調報告書」というものだった。 現調はおいらが良く行く現場調査だけど”役調”は?と一瞬考えてしまった、内容からすると役所調査というものらしい。
役所調査というのは、法律、条令、市町村で決めている指導要綱とかインフラ(水道、排水、ガス、電気等、道路の境界の調査とかで、現在はほとんどのネットで検索すれば出てくるが詳細となるとやっぱり出かけなくてはならない。
ということで、法の解釈?取り扱い?を訊きに渋谷区役所に出かけた。 井之頭線の渋谷駅で降り
そうそう、井之頭線の渋谷駅のエピソードを一つ! まだ、携帯電話が無いころの話改札口を出て、事務所に電話する用事を思い出して赤い公衆電話で電話を掛けていると隣から「大山ですけど、ちょっと遅れますから」との声が聞こえた! おもわず ドラえもんだ!と叫んでしまった。 との思い出が。
そういえば道玄坂のペンシルビル「”最初に勤めた事務所の作品”=おいらは係わってない」はどうなっているんだろう?? と思って行ってみた。 この辺だけどなあ~~~と見渡した。無い! それこそ文字通り六角形の平面で塔状の建物だった、屋上にはちょっと小さくした六角形の平面の広告塔が載っていた。 本人に言わせるとそれを見に来た建築科の学生がたくさん居たとか??? 使いずらかったか?? そうだ! お墓の会社の看板に成っていた!と嘆いていたなあ~~~。
と戻って 左に曲がった ここらに先輩の事務所があったはずだ??と入って行った
ああ~~~ 円山町のラブホテル街に入り込んでしまった。 ここの思い出?? ああ~~ チョメチョメ・・・・・・・。 と通り過ぎて 東急百貨店の本店の前に
あれ??? 解体中なんだ! そうか! ここもか。
と横を見ると
抜け道????
円山町のラブホテル街を通らずに行けるのか! ふう~~ん おもしろくない!
と進む
写真を撮らなかったのでグーグルさんから頂き
東急ハンズがハンズに変わっていた! そうか池袋も閉店だったよなあ~~~
と 浦島太郎状態で渋谷区役所に
”ヤクチョウ”を終え 帰路に
小学校の横を通りパルコの前に
うんうんこの道路の上に建物が建ってるのは(銀座の三越もそうだから)知っていたかも?? と潜り抜けて
スペイン坂に
ここにスペイン料理店があるんだ! おいらが教えてもらった店はもっと奥(松濤の方)だったけどなあ~~~
と宇田川町を通って行った
宇田川町と云えば そんな苗字のお客さんがいた!
家から渋谷駅まで他人の土地を通らないで行けたとか?? そんな話をお客さんの関係者から聞いた。 ほんとかなあ~~~???
と スクランブル交差点まで出た。
ん?? ここに大盛堂書店??
○I○Iの先じゃなかった???
そこなら 時々行った!
あ!○1○1にも行った。 ウン十年前! ブレザーを買ったが合わなかった(泣
新宿の△△△屋書店も なんとなく魅力を感じないなあ~~~
池袋のジュンク堂書店の方が面白かった! いろいろな本があって(売れないだろうなあ~というのが多いが、籠を持って買いあさる親父どもがいてびっくり)
と交差点を渡り、ハチ公を遠くで見て
駅の下に着いた。 ふう~
今回は飯岡灯台の上”猿田神社” しかし それこそ七五三祝いから行って無いからどうなんだろう? 今回の話としては 2点
1. 猿田神社とあるが 猿田彦神社と違うのか??
こどもの頃から、猿田神社と認識していたので伊勢では猿田彦神社だったのでびっくりした。 以前、猿田彦は黒潮に乗ってやってきたという説を聴いた。 ふう~~んと納得していたが、坂東33ヶ所観音巡りで利根川沿いを歩いていると石碑があった。
ん?! 猿田彦大神上陸之地??? ええ~~~海の方から来たのでなくって川からなんの???しかも北側から とびっくりした! 更に良く観ると
宮司が 猿田さん!
2. 猿田神社の宮司は 猿田さんでおいらの国語の教師だった(確か)
今、ネットで見ると、歳とっているけど猿田先生だ! なんでも、48歳の時お父さんが亡くなって、教師を辞めて神主になったようです。 ということはあの時とっても若かっただ!
今度、銚子に行ったら猿田神社によって神主さん=先生に訊いてみよう! 覚えているかなあ??担任では無かったからなあ~~。それにワルで無かったから印象が薄いよな。
少し右上に行って、余山貝塚! ここも教師が絡んでます。 叔父がこの近くで教師でした。 なんでも、道路の盛土に余山貝塚が運ばれていて・・・・・という話を聞いて自転車で行きました。 ここから考古学の興味を持ちました。 あ!母方の叔父も考古学に絡んでましたがね。
大したものは得られなかったのですが、叔父から”石斧”を渡されたことがありました。が、残念ながら返して!と取換されたました。
今考えてみると千葉県で4~5ヶ所発掘の手伝いをしたのですが、みんな下総台地の上 関東ローム層の上でした。しかし余山貝塚は台地の上でなく砂の上でした。 土偶もでたんだ! おもしろそうだなあ~~~。
この叔父の次の勤務先は外川でした。 ここから産経新聞の記事とリンクするかな?
外川の 琥珀 について書こうと思ったのですが、仕事が忙しくなった! 残念!
この琥珀のペンダントは外国産!
こんなものを最愛の娘の母にあげました。
銚子産はこんなに綺麗ではないですが・・・ どこに行ってしまっただろう?
銚子の地図の左下「飯岡の灯台」と書きました.
ここは たぶん後で書くであろう「屛風ヶ浦」の崖の上に有ります。 ここから99里(正式には66キロ=16.5里)先の大東岬までが九十九里浜です。
この刑部岬(ぎょうぶみさき)から夕陽を見たいと、徳さんが云って?出かけた番組がありました
たぶん こんな夕陽だったのでは
薄くボーッと見えるのが房総半島
晴れていれば 富士山も見えたでしょうね!
13年前の動画を見てみると
このように津波に襲われました。 旭市で13人が亡くなったそうです。
友人の利根川沿いのガソリンスタンドでは、川を遡ってくる波はそうでもなかったのでその時地下タンクの蓋をして2階に駆け上ったそうです。 引く波がそのあとやって来て30㎝位水没したと云われました。 なので、ガソリンスタンドの建て替えの時に2階が欲しい! 2階が!と云われましたが予算の関係で割愛! ああ~生かされてない!
ついでに 飯岡の街には戦後すぐ漫画家のちばてつやさんが引き上げて来て住んでいたそうです。
ちばてつやさんが住んでいたところの近くに玉崎神社というの神社があります
(この神社の境内に面していたと どっかで見ました)
そこの塀は
https://twitter.com/CaptMurasha/status/1704478352827191642
この平べったい石
寄石(よりいし)⦅飯岡石⦆とも呼ばれています
下総国銚子の浦に玉前大明神まします。毎日大小の円き石四つ五つ浪にうちよりぬ。神主これを拾い取りて境内に積み置けり。当国は山なき国にて、もとより石払底なり。 別にしてこの辺は一向に石なし。諸人作事をするに、右の寄石を三里四里あるいは十里も申しおろしに来ることなりぞ。 築地書館刊 雲根志 今井功ー訳注解説
玉前大明神と書いて”たまさき”と仮名をふっています。じゃあ 作者か神社かが間違えたのでしょ??銚子近辺にはないのですね。 九十九里浜の先にある化上総一之宮の玉前神社ではないし・・・。 うんうん確かに庭の飛び石に使うのはいいかも!と思っていた。 ところでこの寄石はどうやって出来たのだろう?? 噴火して火山弾となって空から海岸に落ちて餅のようにぺちゃんとなんって冷え固まった。それが波によって流されてきたのでは??と考えていたのですが、最近になってこれだ!と
ふう~~ん これって 飯岡灯台の下じゃない! まさしく 灯台下暗しですね。
確かに この屛風ヶ浦 今は海岸線をテトラポットが置かれ浸食を防いでいますが おいらの小学生の頃は年に1mずつ削れていました。 また、いつ崩れるか分からないので近寄らなかったためか気が付かなったのですね。
おいらの故郷「銚子」の記事があったので 盛ってみた。
まず 地図を
銚子(ちょうし)名の由来
オチョウシの形からと云われているが 徳利だと思っていたら
ちょうし
長柄銚子・提子 松竹梅彫刻 3寸5分 | 高級神棚・神具の通販なら伊勢宮忠オンラインストア | 神棚通販専門店
こっちの「ちょうし」だと いう話です。
また、アイヌ語で「飛び出した岬」という意味だとかの説もあります。
こんなところまでアイヌが?と思うのですが、利根川を遡ったところにある香取神宮の近くに側高神社という神社のお祭りは酒を酌み交わし髭をなでるというものらしいですが、その風習はアイヌから来ているのでは?という説もありました。
話は戻って その河口なぜ真っすぐ流れなかったのか??? という疑問も湧きます。
これが曲がっていなかったらちょうしでなくなってしまう。
岩がたくさん有った為 ちょうしになったとか 日本の三大難所だったようです。
Katsushika Hokusai(葛飾北斎) 千絵の海 総州銚子|浮世絵・木版画のアダチ版画研究所
こんな北斎の版画も残って居ます。
また、「銚子のてんでんしのぎ」という言葉もあります。
実際、漁船が岩に座礁しまい陸から見えているのだが助けに行きたくっても行けない!という話はリアルで聞きました。
昭和40年代(おいらも生まれてました!) 大工事が始まりました! この岩を取り除いて外港と内港(以前からの港)に安全に航行できる水路を作りました。 そしておいらの手元にはその岩の一部が手に入りました! 親父のところに施工会社が営業で持ってきたそうです。(笑 どうもそこには海底火山があったそうで火口から噴き出した溶岩が岩になっていたようです。 つまり銚子の名はこの海底火山のおかげ!
10年前ですがこんな水路が出来上がっていました。
でも 波は凄い!
防波堤の外はこんなに波が凄い! (この灯台は 川口の灯台 以前は防波堤で繋がっていたが水路が出来て途切れた)
そうそう銚子沖で黒潮と親潮がぶつかります。 このため波が凄いと云われていますが、どうでしょ?
それに東映の映画の始まり
これ見たこと有ると思いますが
ん? 違う岩かな??? おいらの写真
これ銚子の海です! それこそ犬吠埼の方です!
なので、銚子では、海水浴といえば遊泳! 海に浸かる。または磯で遊ぶ! が海水浴なので泳いでいません! つまり 金づち!です。
とちょっと 盛ったのですが いかがでしょうか?
と ちょうし(調子)に乗って 続があります!